序章:コンテンツ・メディアの進化
2026.10.3 第二稿終了
私たちがコンテンツと呼ぶようになったのはいつごろからなのでしょうか?そのルーツを探るためにコンテンツやメディアの発達の歴史から話をしてみたいと思います。
新コンテンツ・メディアの進化系譜
改めてメディアとコンテンツの進化を眺めてみるといくつか気がつく点があります。
それは、今日の新聞や出版に代表される文字の伝達、写真、映画、アニメなどに代表される映像、そして音楽、ゲームという風にメディアが出来上がって来た中で、近年のメディアはメディアというよりも情報と情報を扱うメタデータをいかに効率よく流通させるかというところに移ってきているように思われます。つまり今までの大きなマスメディアがコンテンツを流通させていくのではなく、いたるところにある小さなメディアやプラットフォームのユーザーたちが情報発信者となり、流通している情報や自らの情報を売りにしていく時代なのだということです。そこで改めて、コンテンツやメディアの進化に関して考えてみたいと思います。

人間が伝えたいもの
人間が誰かに何かを伝えたいと思った最初は何でしょうか。世界中さまざまなメッセージの残骸がありますが、その中のひとつが洞窟の壁画ではないでしょうか。数千年から4万年ほど前の人類の祖先たちが真っ暗な洞窟の中で何かを伝えようとした形跡が今も残っているのです。その伝えようと思った「何か」こそ今日で言うコンテンツの原点なのかもしれません。
人間は元々手先が器用でものを掴んだり、投げたりすることが出来ます。絵を描くことも物を持った最初の頃から自然に覚えていったことかもしれません。その習慣が今度は文字を書くことに繋がっていきました。最初は貝殻や動物の毛皮の裏などに傷をつけて書いていた文字が、石盤になり、粘土板になり、やがてパピルスのような植物の茎をなめしたものになりました。そのうちに紙が発明され、紙に書くようになっていなります。それでも書いたものは、それひとつが唯一のものであり、他人へ渡してしまえば手元には残りません。伝えたいものを複製というのはもう少し後に出てきたことです。


グーテンベルグのもたらした活版印刷
15世紀半ば(1450年頃)、ヨハネス・グーテンべルクが活版による印刷技術を発明し、大量の印刷をすることが可能になりました。これが地上で始めての複製(コピー)の始まりでした。活版印刷という技術は人々に情報の伝達のスピードをアップさせました。遠いところにいる人に手紙や書物を届けることによって、情報が確実に届けられるようになりました。同時に新聞や出版という新しい伝達が生まれることにもつながっています(1605年、ドイツでヨハン・カロルスが世界初の印刷新聞を刊行)。活版印刷がマスという大量消費と大衆に向けてのメディアを作った最初の出来事でした。
壁画に描かれたのは今から何万年も前の古代人たちが狩猟や王位の継承を記すために残したものでした。その多くは、「語り継ぐ」という極めて原始的で基本的な「思い」でした。それが「活版印刷」という技術によって人間の「伝達」を加速させ、拡大させました。この技術による人間の機能の拡大はのちに話が出るマクルーハンの言うところの人間拡張という思想と一致していきます。


モノリス(石板)の進化とともに
映画「2001年宇宙の旅」の中で人類の祖先は石板に遭遇する事で知能の進化が劇的にもたらされました。そしてその進化によって、類人猿は動物の骨を武器として使い、それまでは狩猟の目的として使っていた「道具というもの」を今度は縄張り争いのため、同じ人種の仲間たちを倒すために使うことになります。そして、その類人猿は歓喜のあまり空中に骨の一片を放り投げます。その骨がゆっくりと空中で落下していく間に、同じような一片の宇宙船(実はこの宇宙船は当時の航空機産業の象徴的企業であるPAN AMのロゴが描かれている)に置き換わります。この一瞬にして遥かな時空を飛び越えるシーンは技術革新がもたらす、人類の加速度的な進化を象徴しているかのようです。




ここ70年余りのコンテンツを取り巻くメディアの進化はまさに動物の骨が一瞬で宇宙船になるほど劇的な出来事でした。
かつてはパピルスと呼ばれる
まだ白黒しか映すことの出来なかったテレビが家庭にやって来ました。小さな木箱の中にはまだ青白い走査線の見えるずんぐりした、分厚いガラスに覆われたブラウン管と呼ばれる電球のオバケみたいなビーム管が収まっていました。電源を消す度に「ブーン」という音と共にガラス面の中心にビーム砲の残光がしばらく残っていたのを今でも忘れることは出来ません。それは後に、スタートレックの放つ丸々砲弾にもにた光景でした。やがて白黒が総天然色カラーになり、テレビの前面には大げさな木製の観音扉が装着され、扉を閉めた時には大きな玉手箱のような木目の見える箱がリビングの中心に鎮座していました。ニュースを見る時も、プロ野球を見る時も、プロレス中継を見る時も、その都度扉は開かれ、大きなダイヤルを回すことでチャンネルという魔法の箱の幻燈を見せてくれました。
リビングの中のテレビとソファの距離を劇的に縮めました。特にここ10年はSNS、動画配信、VRXR、空間コンピューティング、バーチャルプロダクションと、話題にも尽きません。
マクルーハンが予言した「人間の拡張」
かつて1960年代はマスメディアの台頭と位置づけられましたが、同時にマクルーハンの時代であったと言えます。当時、一世を風靡した社会学者であるマーシャル・マクルーハンのメディア論は未だに70年の歳月を経てもなお全く色褪せずに読めるのは皮肉なものです。中でも「技術やメディアの進化によって人間の身体的、感覚的な機能が拡張される」という言葉は、恐ろしいくらい今日を言い当てている気がします。現代はまさにVRやイマーシブな環境が人間の「身体的拡張」「知覚的拡張」、AIがもたらす「知能的拡張」、メタバースやXRの世界でのアバターがもたらす「存在的拡張」が進みつつあります。

80年代に「ニューメディア」という言葉が流行ります。当時のニューメディアとは文字放送やキャプテンシステムのような副次放送や双方向、ケーブルテレビ、衛星放送などでした。まだネットワークの時代が来る前の頃になります。しかしそのニューメディアも新しいメディアとして、それまでのマスメディアにとって代わることはありませんでした。その後は、マルチメディア、クロスメディアなどメディアミックスによる化学反応を期待する一方でメディア自体は混とんとする時代を迎えます。それはコンテンツ自体の価値創出を求められる時代と言っても良いと思います。そんな中で、日本のコンテンツは冬の時代を迎えます。ネットワーク、SNSの普及によるテレビ離れ、映画産業の衰退、今となってはマスメディアもニューメディアもオールドメディアと名づけても構わないでしょう。
マスメディアの誕生と旧体制化
マスメディアは、この70年間のマスメディアの誕生と熟成の中で正直存在感をを失いつつあります。テレビを視聴したり、新聞を購読する習慣が明らかに減少しています。でも、この言葉は慎重に使わなければなりません。別にテレビや新聞を見なくなった訳ではありません。テレビは、今でもリビングの正面に置かれ、その存在感を発揮するために大型化の一歩を辿っています。新聞も発行部数では減少していますが、報道機関としての確固たるポジションは変わってはいません。ただ、生活の習慣が変化し、紙メディアの売れる時代はたのです。確かに70年代、80年代は、テレビの時代でした。家に帰ると家の明かりとテレビのリモコンを点けるのが当たり前でした。しかし現在はどうでしょう。テレビは点けるかもしれません。でもテレビを見ているかといえば家族たちはそれぞれ思い思いのプライベートなひと時を楽しんでいます。スマホでゲームをする者、SNSをやる者、タブレットでレシピの確認をする者、必ずしもテレビの前にいながら、実は全くテレビを見ていないかもしれません。新聞メディアからも情報を見るわけですが、必ずしも紙面を読むとは限らず、ネットニュースを追いかけているだけかもしれません。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」で描かれた近未来
1989年に公開されたロバート・ゼメキス監督の「バックトゥーザフューチャー2」の中で未来が描かれていますが、その設定はなんと2015年です。その世界ではクルマは空を飛び、宙に浮いたのTEXACOの自動給油機でガソリンが入れられ、HOLOMAXと書かれた映画館で「JAWS19」が公開され、映画看板から3Dホログラフのサメが飛び出してきます。タブレットPCやナイキの自動で靴ひもが締まるシューズやホバーボードという空中浮遊が出来るボードも登場します。近未来なテイストを醸し出している一方で、意外とテレビなどのメディアの描かれ方は相も変わらずブラウン管っぽい箱型の画面のみであまり変わり映えせずに描かれていました。当時としてはテレビはまだまだ時代の先端の技術でそこから先の進化を誰も予測しえなかったのかもしれません。
テレビを中心にしたニューメディアやメディアミックスという言葉ももはや古いと言う感じがします。メディアの形態が常に変化している現在においてある特定のメディアを最終の手段や目的にしていく事自体がもはやナンセンスだからです。
これらの複雑に混ざり合ったメディアの状態は「クロスプラットフォーム」と言えるかもしれません。スマホや形態、SNSまでもメディアと呼ぶには大げさな感があります。メディアとは呼ばずにプラットフォームと呼び替えてみてはどうでしょうか。プラットフォームは、デバイスという言い方も出来るかもしれません。
「クロスプラットフォーム」は本来は、プログラムやアプリの世界で使われたいた言葉で、OSの壁やいわゆるゲーム実機の壁を取っ払っていかなるプラットフォームにも対応するという考え方です。ユーザーからしてみればプラットフォームに依存しない使い勝手が実現する訳で、いつでもどこでも何ででも”やれる”とか”見れる”が当たり前になりつつある、という訳です。私たちはもっと手軽にメディアやコンテンツを手中にしたとも言えます。
アナログからデジタルの大変革
1980年代はアナログからデジタルへの大変革がもたらされました。それまですべての映像はフィルムがスタートでした。そのためにフィルム撮影、フィルム現像、フィルム上のオプチカル合成、フィルムプリントという大変な制作工程の上に成り立っていました。それらが少しずつデジタルに置き換わっていく中で映像技術や表現は劇的に変わっていきました。
HOW STAR WARS CHANGED THE WORLD

ここに一枚の系図イラストがあります。タイトルは「HOW STAR WARS CHANGED THE WORLD」これはSTAR WARSを取り巻く人物、人脈、企業、映像環境がいかにデジタルの技術に影響や変革をもたらしたかをを示す系譜図です。そのほとんどすべてがジョージ・ルーカスと彼が手掛けたスターウォーズ、そしてスターウォーズのために作られたVFX工房ILM(Industrial Light and Magic)が中心になっています。例えば当時、ルーカスが発案した「Editroid」と名付けられたデジタル編集システムは後にAVID編集システムとして産声を上げます。またルーカスが主導した映画館サラウンドシステムは「THX」として。ILM内に作られたCG部門はのちに売却されますがPIXARとなっていきます。ILM内に組織されたインターン学生たちのアニマティクス部門はのちに「The Third Floor」というプレビズスタジオとして巣立っていきます。一方ILMにいるVFXスーパーバイザーのジョン・ノールは兄と共に「Photoshop」やプラグインエフェクトKnoll Light Factoryとして使われ続けています。映画「アビス」でILMの持つCGの技術力と可能性に驚愕したジェームス・キャメロンは自らの私財をデジタルドメインという新たなVFX工房の設立に奔走します。その流れはニュージーランド出身のピーター・ジャクソンのWETAも同じ流れで、キャメロンは「タイタニック」で、ジャクソンは「ロードオブリング」で自らの夢を現実化していきます。90年代に入り、デジタル映画の普及を構想するルーカスは映画の撮影から配給、上映までのすべての工程をデジタル化する「デジタルシネマ」を推進します。SONY厚木工場に業務用24pHDシネマカメラを依頼し、「スターウオーズEpisode I」以降のスターウォーズシリーズはすべてデジタルで撮影、編集、上映していきます。これ以降、全世界の映画館はデジタル上映に舵を切っていきます。こうしたルーカスの描いたデジタルの技術革新の野望は30年の歳月を経て実現していくのです。そんなデジタル銀河帝国の興亡の様子がこのイラストから見て取れます。
「Paintbox」から「Henrry」、そして「Inferno」の時代へ
1980年代当時、コンピューターの処理能力はまだまだ非力で、動画をリアルタイムで扱うことは不可能でした。その時代に、独自の専用機を自社開発し、業界の絶対王者として君臨したのがイギリスのQuantel(クォンテル)社です。「Quantel Paintbox」という24ビット・フルカラー、720 x 486(当時の放送規格D1)のビデオフレーム(静止画)をペン&タブレットでリアルタイムに描画・加工できる世界初のシステムでした。このペイントシステムはテレビのテロップやニュースグラフィックの概念を一変させました。その後1985年、世界初のデジタル・ノンリニア編集(NLE)を世に出します。静止画だけでなく動画をデジタル処理するHarry(ハリー)です。「劣化のないデジタルマルチレイヤー合成」と「ランダムアクセス編集」を実現し、CMやMV制作の現場に革命を起こしました。これらの機材は1台あたり数千万円から1億円以上する「モンスターマシン」でした。そのため、これらを所有するポスプロにディレクターが出向き、編集を行うのが当時のステータスでした。1992年、Henry(ヘンリー)が登場します。Harryをさらに進化させ、ハイエンド映像制作における世界標準となったコンポジット(合成)&エディットシステムです。


同じく1990年代に入ると、アメリカのSilicon Graphics(SGI)社が開発する Unixワークステーション(Indigo、Onyxなど)が爆発的な進化を遂げます。3D CGのワークステーションとして普及していきます。この時期にカナダで設立されたのが、Discreet Logic(ディスクリート・ロジック)です。 Discreet Logicは、SGIワークステーション上で動作する、ノードベースとタイムラインを融合したオンライン編集合成ソフトウェア「Flame」を発表しました。
Quantelが主に「テレビ放送・CM(SD画質)」に強かったのに対し、Discreet Logicは映画のデジタル・コンポジット(HD〜2K、4K解像度)へ瞬く間に普及していきました。 最上位の映画用合成機「Inferno(インフェルノ)」、主力の「Flame(フレーム)」、オフライン用の「Flint(フリント)」、そしてノンリニア編集用の「Fire(ファイア)」や「Smoke(スモーク)」を次々と発表し、ポストプロの全工程をSGI+Discreetの環境で統一するシステムを完成させました。


セルアニメからデジタルアニメへ
1990年代半ばよりそれまでのセルアニメの制作がデジタルに置き換わり始めました。仕上げ(作画と動画中割り)の工程と「撮影」と呼ばれるセル画と背景との合成処理の工程がデジタルに対応し、そのためセルによる仕上げと呼ばれる彩色工程や線画台を用いたコマ撮りの撮影工程は急速に置き換わっていきました。その先陣を切ったのがジブリでした。ジブリは今までの線画台の上に乗せていた35ミリのコマ撮り用カメラを高解像度のCCDカメラに変えました。本来は巨大な背景画とその上にセル画を置くことで同時に撮影を行い、少しずつずらしながら撮影をする、いわゆる「マルチ撮影」が本来の撮影方法でしたが、CCDカメラの導入により、線画台で撮影するのは大きな畳一畳もある大判の背景画のみで、あとはPC上で背景とセル画を合成をする工程に置き換わっていきました。当時の高解像度のCCDカメラによる撮影と画像転送速度はまだまだ時間がかかり、4K相当の画像転送に十数秒かかる状態でした。また、色彩設計と呼ばれるセル画の色を設計し、セル画の塗りの絵の具を作る作業も変わっていきます。テレビシリーズでは使うセルの色数は200~300色程度、映画だと400~600色くらいの色を設計して、セル画を塗るための絵の具を用意しなければなりませんでした。その工程が一気にPC上で管理する色彩設計に置き換わっていきました。


2013年、最後のセルアニメとされる「サザエさん」をもって国内で制作されるTVアニメのすべてはデジタルアニメに置き換わることになりました。それどころか、3DCGの発展とCGによるセル画調の表現も可能になっていきました。セルシェーダー、あるいはトゥーンシェーダーと呼ばれる表現方法です。トレースラインとベタ塗り、影色の表現が出来るので作画の省力化や複雑なキャラクターを作り出せるようになりました。それによっていくつかのデジタルアニメの映画やアニメが製作されましたが、当初は余り評判は芳しくはありませんでした。それは、モーションキャプチャーによるナマっぽい動きに対してセル画調の表現がどうしても違和感を伴ういわゆる「不気味の谷」に当たるものだとされています。
そもそも日本のアニメーションは、ディズニーなどのトラディショナルなフルアニメとは一線を画する作画枚数を制限したり、口パクや目パチを別セルで描くバンクシステムを取る独自の表現方法を確立ししてきた進化の過程があります。これはリミテッドアニメ(※)と呼ばれる日本のアニメの独自路線でした。その日本のガラパゴス化が逆に独特の表現手法を生み出し、現在の世界の誇るジャパニメーションの礎になったと言っても過言ではありません。
そしてここ数年、リミテッドアニメを踏襲する新しい3DCGアニメが見られる様になってきています。手描きアニメやリミテッドアニメのテイストを大事にする表現を意図的に作り出そうとしているのです。日本はいまだに3DCGと作画をミックスした独自のCGアニメ文化を踏襲していると言えます。
(※)リミテッドアニメ
秒24コマの作画をするフルアニメーションに対して秒6~8コマの「コマ打ち」というコマ数を少なくする手法をリミテッドアニメと呼ぶ
映画の進化がもたらす先に
映画が誕生して135年を迎えました。リミュエール兄弟やエジソンらの功績によりシネマトグラフィーという新しい芸術のジャンルが確立されました。いくつかの技術の発明を経て、映画は大衆の娯楽としての地位を保っています。21世紀にはいり、ジョージ・ルーカスを筆頭とするハリウッド映画人たちのデジタルシネマへの積極的な働きかけにより、映画はフィルムから急速にデジタルに置き換わるに至りました。今では国内の映画館のほとんどがデジタルシネマに対応し、国内ではそのうち約3割が3Dシネマに対応しています。そして、長いこと続いた秒24コマの映画の歴史を変える新しいフレームレートの動きも出てきています。ピーター・ジャクソンやアン・リー、ジェームス・キャメロンらは新しい映画のフォーマットとしてHFR(ハイフレームレート)の映画制作に乗り出しています。HFRとは秒24コマ以上のフレームレートで映像を撮影、再生することを指します。
ピーター・ジャクソンは2012年から「ホビット」3部作をすべて48fpsで撮影し、3D映画を製作しました。アン・リーは「ビリー・リンの永遠の一日」(2016)、「ジェミニマン」(2019)でなんと120fps3Dの映画を製作しました。ジェームス・キャメロンは、「アバター2、3」(2022、2025)で同様にHFR(48fps)のフォーマットで3D映画を撮影しています。
VRの示すもの
VR CG短編アニメ『Pearl』(2016)VRで初!第89回アカデミー賞アニメ短編部門ノミネート
GoogleがGoogle Spotlight Storiesで展開している短編CGアニメのひとつ『Pearl』(2016)がアカデミー賞アニメ短編部門ノミネートされました。これは初めてアカデミー賞にノミネートされた360度VRの作品です。今までの360度にありがちな”視点移動”コンテンツとは違い、この映画の中ではまったく視点は変化しません。クルマの車内からの定点映像にこだわり敢えて”大きく見せない”ことで観客はそこにあるドラマを発見していくという、情緒的な冒険行動を体験することになります。それがあとから「じわじわ」来る感動につながっています。
もうひとつ、
同じくGoogle Spotlight Storiesで作られたVFXを駆使したVR作品です。『HELP』という実写とCGを組み合わせて作られたものです。制作は英国VFXスタジオTHE MILLです。撮影はRED Digital Camera4台をリグに組んで360°パノラマを撮影しています。ブルーバックのスタジオで撮影されたフッテージにVFXでクリーチャーやエフェクトが加えられています。
2016年、カンヌライオンズ賞(Cannes Lions Gold Lion for Digital Craft: Technological Achievement in Digital Craft)を受賞したこの作品ですが、クオリティの高さと同時にVRにおけるVFXの困難さや難易度の高さも露呈させています。当時のメイキングでは制作期間13ヵ月、81人のスタッフ、200テラバイトのデータ量、1500万に及ぶレンダリングフレーム数と記述されています。5分のショートフィルムに通常の映画製作の数倍の資金が投入されました。Googleは当時、自社の高度技術・製品開発部門(ATAP)を中心に、VRや360度映像の限界に挑戦する「実験」として、映画クオリティのライブアクション(実写)作品である『HELP』を制作しました。このプロジェクトは当初からマネタイズ(収益化)を想定していなかったため、採算度外視の「莫大な資金」が投入されたことが報じられています。
スピルバーグ監督のVRへの警鐘
スティーブン・スピルバーグ監督は2016年のカンヌ国際映画祭でVRや360°パノラマ映像に対しての可能性を示唆しながらも、映像としての演出手法での監督の意図を伝えることが出来るかという警鐘を鳴らしています。
VR技術を「伝統的な映画製作にとって危険な進歩になるかもしれない」と指摘。この技術がもたらす視野の自由により「作り手が見せたいもの」より「観客が見たいもの」が優先されること。そして「全方位を見渡せて、どちらを見るか決められる世界に没入したとき、ストーリーが忘れられなければよいが」と懸念を述べています。
(2016年05月22日”HUFFPOST”The Blogより)
https://www.huffingtonpost.jp/engadget-japan/steven-spielberg-vr_b_10100668.html
これは決してVR技術やVRコンテンツを否定するものではないと思います。それどころか、VRの持つ可能性に対してもっと理解を深めながら取り組んでいこうとする意欲に満ちた言葉だと理解します。そういう意味でVRは今までの映画的手法とは違うものだと考える必要があります。
名作映画『ウェストサイドストーリー』(1961年)のリメイク
そんな彼が、1961年の名作『ウェストサイドストーリー』をわざわざ60年ぶりにリメイクしたのには古き良き時代の名作映画に対するリスペクトと深い思いがあったのだと思います。60年前の物語にあるエッセンスは決して色褪せることはなく、新たな技術の中で再生されました。その演出手法にはむしろ、そこから学ぶべきことの方が多いかもしれません。


そして、『レディプレーヤーワン』(2018)で近未来のVRメタバースの世界を描いています。その中では映画『シャイニング』の世界に入り込む主人公たちなどが描かれ、リアルとバーチャルがVR世界の中で混ざり合う不思議な空間を作り出しています。この映画は彼がVRの世界を今までの「映画の手法」で描くのであればこういうことだ、というお手本を示しているのかもしれません。
AR、XRの進化の兆し リアルとバーチャルの融合
2017年、北京で開かれたRiot Games社が主催するLeague of Legendsというゲームタイトルにおける esportsイベントは屋外の大きなアリーナ会場で行われました。オープニングセレモニーの中盤、突然咆哮と共にゲーム内キャラクターである巨大なエルダードラゴン(Elder Dragon)が飛来します。アリーナの天井から観客席を一周飛来してセンターステージに降り立つのです。実はライブ配信でAR合成されたものでした。会場の人はこのARドラゴンを充分に堪能することは出来ませんでしたが、オンラインで視聴している人たちにとっては度肝を抜かれたと思います。
このAR合成を実現させた背景には、UNREAL ENGINEに代表されるゲームエンジンによるリアルタイムグラフィックスの進歩があります。具体的にはカメラトラッキング、実写映像とバーチャルグラフィックスの同期とARXRの合成技術です。
Virtual Productionの登場
2019年、UNREAL ENGINEで有名なEpic Gamesが1本の映像を発表しました。「Real-Time in-Camera VFX for Next-Gen Filmmaking」と題されたこの映像にはこんな説明がされています。
Real-time technology is transforming the art of filmmaking, with next-generation virtual production tools coming to Unreal Engine. At SIGGRAPH, Epic Games partnered with Lux Machina, Magnopus, Profile Studios, Quixel, ARRI, and DP Matt Workman to demonstrate how LED walls can provide not only virtual environments but also lighting for real-world elements, so the entire scene can be captured in camera in a single pass.
リアルタイム技術は映画制作にまで及んでおり、次世代のバーチャルプロダクションツールがUnreal Engineにも登場しています。SIGGRAPHでは、Epic GamesがLux Machina、Magnopus、Profile Studios、Quixel、ARRI、そしてDPのMatt Workmanと提携し、LEDウォールがバーチャルな環境だけでなく、リアルな要素としての照明も提供できることを実演しました。これにより、シーン全体をカメラで一度にキャプチャー(撮影)することが可能になるのです。
まさに撮影の現場(Production)にバーチャルなCGやVFX環境が押し寄せて来た瞬間でした。
これ以降、バーチャルプロダクションのスタジオは世界規模で広まり、今では世界に600~700、日本でも30~40のVPスタジオを数えるほどになっています。
バーチャルプロダクションの波は、映像の制作工程に大きな変革をもたらしています。今までのプリプロダクション、プロダクション、ポストプロダクションという撮影の現場を中心としたプロダクションのワークフローから、撮影の現場にバーチャルの制作工程が押し寄せてくるという新たな制作工程を生み出しています。それは撮影の現場で撮影、照明、美術、DITのみならず、CG、VFX、グラフィックエンジニアスタッフが一堂に会し、最終の完成映像をその現場で作り出し、決定することになります。今まで、あとはポスプロの工程に任せようという「あと任せ」な工程が一切通用しなくなる瞬間でした。
これ以降、さまざまな映像制作の環境でリアルとバーチャルの融合は加速しています。リアルな場所や空間、時間の中で混在するまさに境界線のない世界です。そしてすべての意思決定がその混在した場所で行われるという新しい制作フローを生み出しています。
ABBA Voyage バーチャルライブがもたらすステージショー
2022年10月、ロンドンの特設会場ではABBAによるライブ配信コンサートが行われました。収容3,000席の会場、291台のスピーカー、500台のムービングライトシステムが同期するバーチャルライブコンサートは連日満員で現在もなお公演を続けています。
リアルとバーチャルの融合、その先へ
ここまでコンテンツやメディアの歴史進化を捉えてきました。その中ではマクルーハンの言う「身体の拡張」というキーワードが非常に印象に残ります。ここ近年の技術の進歩や表現の進歩によって、私たちを取り巻くコンテンツおよび制作環境は新しい時代、曲面を迎えようとしています。私たちはこの時代を正しく理解し、その制作に取り組む必要があるのです。
次の章ではいよいよその新しい環境であるイマーシブコンテンツに言及していきます。
〈了〉
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